今日は、この国イタリアの、
【文化】というものに浸かる日だったと思います。
先ず僕たちは、
「ボローニャ精神保健局」に行き、
フィオレッティ局長と話をしました。
僕が印象に残っているのは、このシーン!
…………
「イタリアは、
他の国の精神医療とは違う独特な発展をしました。
イタリアは、かつて、第二次世界大戦でよくないことをしました。
《思想が違う人》を精神病院に収容し、
敵国と戦いました。
でも、戦争に負けて、、
もちろん、
精神病院に収容されていた人たちは、
解放されました。
私たちは、《反省しなければいけなかったのです》。
精神病院は、「負のイメージ」がついていました。
ですので、
市民の間から、上がって言ったのは、
「倫理」の声と……そして、
「政治」の声がありました。
そして、精神病院は閉鎖されたのです。
この運命は、
他の国に比べて、特殊なものだったと思います。
…………
イタリアが精神病院を廃止にしていったのは、
「1970年代当時の社会の色が出ている」
と聞いていましたが、
上のような事情があったというのは、知りませんでした。
そして、
1978年に精神病院を廃止すると、 すぐに次の手を打っていった。
そして、40年がたち、
…………
「私たちは、「連携する」ということをやって来ました」
と、いい、
その連携を、そして、「社会を、文化を、作る」
ということを話して貰いました。
テクニックを発展させる道ではなく、
社会の中で「協同する」ということを発展させてきた。
…………
さて、
僕たちは、どうするのか?
どうしたいのか?
考えるおっきなきっかけを改めて得た時間でした。
…………
…………
それから、午後、
ツアーは、2班に分かれます。
→REMS(蝕法関連の治療・居住施設)
→ボローニャ大学精神医学教室
に。
…………
そして、
夕方~夜は、
【世界精神保健デー】の祝典へ。
…………
午後と夕方の話は、
またいつかすることになると思いますが、
本日の記録は、一先ずここまで。
いずれにしても、
いずれにしても、
「個々のテクニックを発達させる」道ではなく、
「社会の中での連携を模索していく」道を歩んだイタリア。
とかく、専門的に特化されていく傾向にある日本が、今、 何かの限界を感じているとするのなら、
社会の中での連携
ということに、
何かのこの閉塞感を打開する方向があるって、
僕は、強く、強く思った次第です。
読んで下さり、ありがとう。